明治36年
赤円齋竹甫が未生流錦星派を創立

昭和6年
麗峰齋 山中祥白 が二世家元を継承し 洛陽未生流と改流。
初代家元となる。

昭和57年
華道洛陽未生流に改流。

平成5年
春麗齋 山中紀世美が二世祥白を継承する。

平成16年
陽峰齋 山中祥巧が三世祥白を継承する。
麗峰斎山中祥白は、十八歳より初代家元に師事し、華道の世界に第一歩をふみ入れました。その後家元代理として若年ながら指導にあたり、昭和6年11月、初代家元の意志を継ぎ、二代目家元を襲名し、その後、
華道洛陽未生流初代家元となりました。
麗峰斎祥白は、古典花を特技とし、華道界においてその生花は第一人者であります。また単純なる色彩を用いて、気品を漂わす優雅な型態の自由花・小品花は他に類をみず、常に注目をあびておりました。
発展を続けるさなか第二次世界大戦が勃発、戦時中は衰退し、僅かな範囲にて活動を続けておりました。
しかし戦後、いち早く麗峰斎祥白自身の前衛活動と、啓蒙により隆盛を計り、最初の流内前衛作家の集まりである「洛秀社」を結成し、各流との交流を以前に増して深め、
今日に於いては全国華道の諸流派の中にあって、
代表的な物となりました。
昭和48年には、京都市の文化使節として、
当時のソビエト連邦・ウクライナ共和国に出向き、多大な成界をあげております。
春麗斎山中紀世美は昭和58年11月、
麗峰斎祥白を継承し、
華道洛陽未生流二世家元を後継。
麗峰斎祥白と同じく古典花を特技とし、
洛秀社の前衛作品、伝統的な生花はもちろん 
特に色彩感覚にすぐれ、盛花は独自の色彩と世界観で
注目を浴びました。また、鴨川をどりや平安神宮献花会を
はじめ様々な場所への活発な出展活動で成界を
あげてきました。
平成16年8月志半ばにして逝去。
陽峰斎山中祥巧は、春麗斎紀世美逝去後の平成16年9月、麗峰斎祥白、春麗斎紀世美を継承し
華道洛陽未生流三世家元、後継。
平成17年日本いけ花芸術協会会員となり、
平安神宮献花会、鴨川をどりに出品、平成22年からは「いけばな」をもっと気軽で身近なものとして知って頂けるよう、カフェなどで「いけばな体験教室」を開き、華道の魅力を伝えるべく精力的な活動を行っています。
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